仏陀と自動売買。
怒られそうなテーマですが、書いてみたいと思います!
僕は田舎の坊主が嫌いです
僕は日本のお坊さんが大っ嫌いですが、お釈迦様が嫌いだというわけではありません。
仏教の教えも十分理解出来ますし、すごくためになることも多い。
嫌いなのは「金と欲の匂いがしまくる日本のクソ坊主」だけですw
絶対おかしい。これっておかしい。
僕は田舎育ちですので、葬式や正月、あとは定期的なお寺の清掃、修繕に関する多額の寄付(強制)、そんなものを見てきて、ずっと思っていました。
なんかおかしい。
そんなにお前ら偉いんか、と。
こんなことを田舎のじーさんばーさんに言うと、烈火のごとく怒りますよw
彼らにとってはそれが絶対。なぜなら、
“ずっとそうだったから”
“お坊さんは偉いから”
“やらないと罰があたるから”
“近所の人もみんなそう言っているから”
それが気持ち悪いっつうんじゃい!!
僕の考えは間違っていなかった!
坊さんより詳しくなりたいという気持ちで、僕は結構仏教本なんかも実は読みますw
興味が無いわけではないんです。好きなんですよ、本来。
で、こんな仏陀のありがたい言葉(エピソード)を紹介します。
ある地を訪れた仏陀に、現地の人がこんなことを訪ねます。
「これまで当地にやってきた聖者の言うことはみな違うし、中には、他の聖者の教えは間違いだという者もいる。誰の教えが正しいのか、どうやったら知ることができるのか?」
これに対しての答えが、
・人から聞いたというだけの理由で信じてはいけない。
・どんな伝統も、ただそれが古いからとか、何代も受け継がれているからとか、多くの地域で受け継がれているからというだけの理由で信じてはいけない。
・噂になっているからとか、人々がよく話しているからという理由で信じてはいけない。
・昔の聖者が書いた教えを見せられたからという理由で信じてはいけない。
・自分が思い描いたことを、それが尋常でないことだからといって、神や素晴らしい存在によって啓発されたのだと信じてはいけない。
・ありそうなことだからとか、長年に渡る慣習のため真実らしいというだけの理由で信じてはいけない。
・何事も教師や司祭の権限だけの理由で信じてはいけない。
ただ、よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること、善いこと、自他共に、また世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。
同様の考察が、と仏陀は言う、彼の教えにもなされなくてはならない。
「私の教義を私への尊敬のために受け入れてはならない。先ずそれを自分で試してみなさい。金は火によって試されるのだから」
「夜を昼と、昼を夜と主張する人はたくさんいる。しかし私は、夜は夜であり昼は昼であると主張する」
この考え方、マジですげぇ…
す…素晴らしい!!
素晴らしいと思いませんか?
田舎のじーさんばーさん涙目ですよwwはっは~~痛快だ。
彼は、自分のこの言葉すら疑えと言いました。
何物にも囚われず、その上で、自分で考えて自分の答えを出せばいいんだと。
僕もずっと同じことを思って生きてきたから、本当にズドンと来ました、この言葉。
一生のバイブルにしよう!とさっそくスマホのメモにコピーしましたからねw
ここからは僕の考察ですが、これは「何も信じるな!」と言っている訳ではないですよ。
常にフラットな視点で、絶対評価をすることを忘れるな!!ということです。
これはどんな考え方にも応用できる、素晴らしい指南だと思いますね。
さぁ本題。EAに置き換えてみよう。
おこがましいですが、僕が仏陀役になりまして、EAバージョンを作ってみました!
自動売買を知らない方はEAを手法と置き換えて読んで下さい!
「これまで見てきたEAや手法はみな違うし、中には、他の手法は間違いで稼げないという者もいる。誰の教えが正しいのか、どうやったら知ることができるのか?」
・人から聞いたというだけの理由で信じてはいけない。
・どんな伝統あるEAも、ただそのEAの歴史が古いからとか、何年も勝ち続けているからとか、多くのブログで紹介されているからというだけの理由で信じてはいけない。
・掲示板で噂になっているからとか、ツイッターでよく話しているからという理由で信じてはいけない。
・昔のトレーダーが書いた教えを見せられたからという理由で信じてはいけない。
・自分が思い描いたことを、それが尋常でないことだからといって、神や素晴らしい存在によって啓発されたのだと信じてはいけない。例えば両建て手法なんかのように。
・ありそうなことだからとか、長年に渡る慣習のため真実らしいというだけの理由で信じてはいけない。
・何事も有名ブロガーやプロトレーダー、または経済アナリストだけの理由で信じてはいけない。
ただ、よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること、善いこと、自他共に、また口座全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、その真実に則ってあなたのEAを選びなさい。
同様の考察が、とゆうしゃは言う、僕の教えにもなされなくてはならない。
「僕のこの記事を僕への尊敬のために受け入れてはならない。先ずそれを自分で試してみなさい。EAはフォワードテストによって試されるのだから」
「勝てないEAを勝てると、勝てるEAを勝てないと主張する人はたくさんいる。しかし私は、負けるEAは負けるEAであり勝てるEAは勝てるEAであると主張する」
いかがだったでしょうか?
宗教の本当の利用法って、実はこういうことなんじゃないかと思うんですよね。
高額のお金を払って葬式のために読経してもらうより、こういう話をもっと聞きたいな、ねぇお坊さん。